カート・ヴォネガット
- 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1977/10
- メディア: 文庫
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この作品の存在は、爆笑問題の太田光の好きな作品として
何かの雑誌で紹介されていて知った。
SFというスタイルの哲学書、そう評している人がいたが、全く同感。
人生の意味、人間の存在意義について
決して何らかの「答え」を語っている訳ではなく、
著者の考え方もしくはそれらに対するスタンスを
シニカルな表現で描写している。
そのように感じた。
内容が暗くて重い、場面展開が唐突である、
そんなことに触れている人もいるが、
仮にそうだとしてもそんなこと全くもってどうでもいいことだ。
無意味な目的。無意味な数字。シニカルな表現。
その作風はとても魅力的だ。
この作品で印象に残っているか言葉や場面はいくつもあるが、
終盤のこれが二番目に印象に残っている。
(一番目はネタバレになるので)
「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら」と彼女はいった。
「それはだれにもなにごとにも利用されないことである」
この考えが彼女の緊張をほぐした。
「わたしを利用してくれてありがとう」と彼女はコンスタントにいった。
「たとえわたしが利用されたがらなかったにしても」
「いや、どういたしまして」とコンスタント。
作中に登場するトラルファマドール星人も魅力的だ。
この地球外生命体は、ヴォネガットの「スローターハウス5」にも登場する。
スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)
- 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,和田誠,伊藤典夫
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/12/31
- メディア: 文庫
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トラルファマドール星人は死体を見て、こう考えるだけである。
死んだものは、この特定の瞬間には好ましからぬ状態にあるが、
ほかの多くの瞬間には、良好な状態にあるのだ。いまでは、わたし自身、
だれかが死んだという話を聞くと、ただ肩をすくめ、トラルファマドール星人が
死人についていう言葉をつぶやくだけである。彼らはこういう、『そういうものだ』
(こちらより引用⇒http://www.mieko.jp/blog/2007/04/post_62c4.html)
まだ読んでいる最中だが、好きな箇所だ。
良い作品、作家にめぐり会うことができた。
昨年他界してしまったのはとても残念。