カート・ヴォネガット


この作品の存在は、爆笑問題太田光の好きな作品として
何かの雑誌で紹介されていて知った。
SFというスタイルの哲学書、そう評している人がいたが、全く同感。
人生の意味、人間の存在意義について
決して何らかの「答え」を語っている訳ではなく、
著者の考え方もしくはそれらに対するスタンスを
シニカルな表現で描写している。
そのように感じた。
内容が暗くて重い、場面展開が唐突である、
そんなことに触れている人もいるが、
仮にそうだとしてもそんなこと全くもってどうでもいいことだ。
無意味な目的。無意味な数字。シニカルな表現。
その作風はとても魅力的だ。

この作品で印象に残っているか言葉や場面はいくつもあるが、
終盤のこれが二番目に印象に残っている。
(一番目はネタバレになるので)

「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら」と彼女はいった。
「それはだれにもなにごとにも利用されないことである」
この考えが彼女の緊張をほぐした。
「わたしを利用してくれてありがとう」と彼女はコンスタントにいった。
「たとえわたしが利用されたがらなかったにしても」
「いや、どういたしまして」とコンスタント。

作中に登場するトラルファマドール星人も魅力的だ。
この地球外生命体は、ヴォネガットの「スローターハウス5」にも登場する。

トラルファマドール星人は死体を見て、こう考えるだけである。
死んだものは、この特定の瞬間には好ましからぬ状態にあるが、
ほかの多くの瞬間には、良好な状態にあるのだ。いまでは、わたし自身、
だれかが死んだという話を聞くと、ただ肩をすくめ、トラルファマドール星人が
死人についていう言葉をつぶやくだけである。彼らはこういう、『そういうものだ』

(こちらより引用⇒http://www.mieko.jp/blog/2007/04/post_62c4.html

まだ読んでいる最中だが、好きな箇所だ。


良い作品、作家にめぐり会うことができた。
昨年他界してしまったのはとても残念。