GUI

MacOS XVISTAWiiなど
ユーザーインターフェースのグラフィック描画で
フェードイン、フェードアウト、透明感、陰影
といった視覚効果が使われているが、
これらはユーザーに対してどんな心理的作用があるのか。
VISTAに触れるようになって、ふとこんな疑問が湧いた。


単なる見た目の問題なのかもしれないが、
描画処理としては、技術的には瞬時に行った方が早いし楽だと思う。
それをわざわざフェードイン/アウトという視覚効果を描画して
いるということは、インターフェースをデザインした人は何か効果
を狙ってそれをデザインしているような気がする。


自分が実際にそれらを見て感じることは、
ウィンドウに陰影や透明感があり、
フェードイン、フェードアウトで描画されることによって、
ウィンドウや動作が現実的な現象や物質としての存在を感じられる…、
ような気がしたが、そこまで明確にそういった認識をしている訳ではない。
が、どこかでそんな認識をしているような気がする。


現実で体験することは、緩やかに変化する様であることが多いと思う。
ドアの開け閉め、風、夕焼け、川の流れなど色々。
これらが緩やかではなく瞬時に状態を変化していたら、何かと大変だろう。
ドアは開いているか、閉まっているかのどちらか、
太陽はある時刻になると瞬時に消える、もしくは瞬時に現れる。
(緩やかな変化といっても、瞬間瞬間で考えると瞬時の変化ともいえるけれど)


ユーザーインターフェースのグラフィックが向かっているのは、
現実で体験する作用の取り込みではないかと思う。
フェードイン、フェードアウト、透明感、陰影、
こういった効果はその取り込みの「始まり」に過ぎないような気がする。


ユーザーインターフェースは、操作者が実施する作業を機械に伝達するための、
機械との接点だが、もしかしかしたら、操作者と機械との関係は一種の
コミュニケーションなのかもしれないな、とここまで書いてきてそんな考えが浮かんできた。
コミュニケーションという観点をもつとユーザーインターフェース
面白い方向に進むのかもしれない。
おそらくそういうアプローチをしている人はどこかにいそうだけど…。


まずはやはり、インターフェースにこうした効果をデザインした人の狙いを
きいてみたいものだ。